2024/11/25 20:55
青森県にある中泊町小泊という場所には太宰治が、子守であり心の母と呼んでいる越野タケさんという方が住んでいました。タケさんとは、小説「津軽」を読んだことがある方はご存知と思いますが幼少期の太宰治の子守として津島家に奉公していた方で、「私の一生はその人によって確定されたといってもいいかもしれない」とまで思っていたほど、太宰治にとって重要な人物です。
小泊には、太宰治がタケさんと出会うまでに通った道と、タケさんと出会ってから一緒に参拝に参った竜神様の前に、計6基の石碑が建立されています。

この石碑は、「小泊の歴史を語る会元会長」で「小説 津軽 の像記念館初代館長」の柳澤良知さんらが、小説「津軽」を元に、当時の道路の状態、路線バスの停留所などの位置などを計測したり、当時の太宰治を知る方などに聞き込み調査を行い、太宰治がタケさんと出会うまでに実際に通った重要なルートに「太宰とたけ再会の道 文学碑」と名付けた石碑を建立しました。
この文学碑は、中泊町教育委員会や小泊観光協会などがしっかり管理しています。
しかし、太宰治が通った道と現代の小泊の主要道は若干違うため、人通りが少なく、観光客にはなかなか見えづらい位置にあるものもあります。
今回は、北国の厳しい冬が訪れる前に、たくさんの方々にご購入して頂いた太宰治グッズの売上を使い、この石碑6基すべての清掃を行うことにしました!それだけでなく、柳澤さんにも同行して頂き、清掃の指揮を取って頂くと同時に、一つ一つの石碑についてのエピソードを学ばせて頂きましたので、これから観光に来る方、太宰治についてもっと知りたい方のため、ご紹介させて頂きます!
1基目(小泊の紹介)

1基目の石碑には、小説「津軽」の中で小泊がどんな村か紹介してある一節が刻まれている。柳澤さん曰く、太宰治がここに来た当時の小泊は、五所川原辺り(小泊より南の栄えている町々など)の人には、小泊は港町だ という事を知らない人も多かったそうです。そのため、小説では人口は少ないが、築港は立派である事を強調したと言われているそうです。
ススキなどの雑草で、まったく見えない状態だったので、周りを少し刈り取り、石碑の清掃をしました。
ススキなどの雑草で、まったく見えない状態だったので、
碑文【私は小泊港に着いた。ここは人口二千五百くらいのささやかな漁村であるが、築港だけは、村に不似合いなくらい立派である。】
書:当時の小泊村長 加藤 久宜
建立日:平成11年7月29日
2基目(小泊の歴史)

昔から小泊港は、風待港として北海道や日本海を航行する船の停泊港としての役割もしていました。その事を小説「津軽」の中でも書かれています。
石碑の周りは中泊町でしっかり除草などを行っているため、私たちは石碑に付いた黄ばんだ水垢や苔の除去を行いました。
この2基目の場所は津軽海峡が一望できる素晴らしい場所に建立されています。※景観の問題などあるため海側を表にした状態で建立されているため、石碑に刻まれた道標にズレがあるそうです。石碑を山のほうに向けた状態を想像して道標を見ると、道路と一致するとのことでした。
碑文【中古の頃から他国の船舶の出入りがあり、蝦夷(えぞ)通いの船が、東風を避ける時には必ずこの港に仮泊する事になっていたという。】
書:成田 道孝
建立日:平成11年9月29日
3基目(津軽の旅の目的)

2基目から1800mの場所。小説「津軽」でとても重要な部分となるタケさんに対する心情を綴った一節が刻まれた石碑です。
偶然ですが、裏側を洗っている時、この碑文を書いた人がメンバーの亡き友人だった事が判明しました。
碑文【津軽へ来て、ぜひとも、逢ってみたいひとがいた。私はその人を、自分の母だと思っているのだ。私の一生はその人に依って確定されたといってもいいかもしれない。】
書:高校2年時の長谷川 仁一
建立日:平成11年11月22日
4基目(たけの娘との出会い)

※碑文を清掃中の写真のため泡で文字が隠れてしまいました...
小説「津軽」でも書かれている通り、タケの娘 節(当日13歳)が腹痛のため薬を取りに運動会から一時的に帰宅した際に偶然太宰治と遭遇しなければ、小説「津軽」はうまれなったかもしれないそうです。
碑文は上記の節さんが書いた文字です。
碑文【「ごめん下さい、ごめん下さい」。「はい」と奥から返事があって、十四、五の水兵服を着た女の子が顔を出した。】
書:タケの五女 柏崎 節
建立日:平成12年5月27日
5基目(再会)

節に案内されて、運動会を見に来ていたタケと遭遇した場所に建立された石碑です。(実際は位置のズレがあるが、忠実な場所に建立すると小泊学園のグラウンド内になってしまうため、グラウンドの端に建立)
2人が劇的な再会を果たしたのは昼の12時45分頃だったそうです。
碑文【掛小屋へはいり、すぐそれと入れ違いに、たけが出てきた。「修治だ」私は笑って帽子をとった。「あらぁ」それだけだった。】
書:成田福好
建立日:平成12年5月27日
6基目(修治への感謝)

※画像左上が柳澤良知さん
タケと共に竜神様の桜を見に参った場所に建立された石碑です。最後の石碑なので、柳澤さん自身が碑文を書いた石碑になります。タケさんが太宰治に話した言葉の一文が刻まれています。
ちなみに小説では、タケさんと2人で向かったように書かれていますが、実際は隣近所の方達5、6人と行ったそうですが、小説ですから、読み手の事も考えてカットしたと思われます。
碑文【小泊までたずねて来てくれたかと思うと、ありがたいのだか、うれしいのだか、そんな事は、どうでもいいじゃ、まあ、よく来たなぁ。】
書:柳沢良知
建立日:平成12年5月27日
社中ショップで太宰治ハイスクールアートなど、太宰治グッズを購入して頂いた皆様のおかげで、文学碑 全6基の清掃作業を実現することができました!ご購入してくださった皆様、本当にありがとうございます!
これから北国青森には厳しい冬が訪れますが、雪にも負けずこれからも地域貢献活動などにも力を入れていきたいと思いますので、これからもよろしくお願いします!
この石碑に関わる小説「津軽」の部分を朗読して頂いた動画もありますのでぜひご覧ください!